誕生日

 76歳。見事に年を重ねてきた。自分でも信じられないくらいだ。私の祖母はすでに亡くなっていた年齢。両親は、もう少し長生き…私は、年は長らえたけれど、家業を死ぬまで手伝える…と思っていたのは、大きな誤算だった。しんどい農業を息子に継がせて、…農業が張り合いをもって稼げる時代でなくなっているというのにしがみつかせてしまったかもしれない…とどこかに後悔している。

 自分の農地として大切にしてきた時代ではなくなっているのに、手放された土地を預かって満足に行くためしがない。しかも、年数を重ねる中で、農政策の変わりによって、また、耕作者が変わることを強制されてきた。集落営農で荒れてしまった田んぼを、今度は農地の集積で…せっかく手入れをしてきた田んぼをまた、集落営農さんに渡すことになってしまい、充分に管理されてこなかった田を耕作することになってしまった不満は、渦巻いている。

 農家が農地に愛着を持てなくなって荒れるのは当然。一度荒廃の田は。1年2年で美田に戻ることはない。まじめにやってきた農家ほど、馬鹿を見ることになる。
今年の収穫も、今まで自作の田の収量と、そうでない田の収量は雲泥の差、集落営農に渡った田んぼは、今年の穫れ目はよかった…と。皮肉な感想を聞く状態。こんなことにこだわっている個別経営体、この先消えゆく運命なのか、日本農業は、今の姿ではないはずなのに…76歳、寂しい農業の実態です。