報恩講に思う

2018-11-25

 この時期になると近在の各お寺さんにおいて、「報恩講」が勤まる。寺においては勿論だが、各家においても一大行事である。お寺でのお勤めが終わると、その後各家において親戚一同集まつて報恩講を勤める。朝からいろいろの手料理を準備して、正信偈をみんなであげてからごちそうになる。赤ちゃんからお年寄りまで・・・その家に縁ある人が集まつて、お仏壇に手を合わせ、感謝の誠をささげる…のだか、こうした集まる機会に話題になるものの一つに選挙の人談議が出ることも常。この年末からは特に話題となるだろう。

 それは別として、報恩講にお詣りする人の年代が、まるで子供や若い人たちが除外されているような気がしてならない。日日多忙でなかなかお詣りできないのも事実だろうが、勤労感謝の日を中心に勤まるお寺さんでの報恩講に、その年代の姿が全く見られない。しかし、高齢者の多いせいでお御堂は満席となる。

 私の小さい頃は、寺の報恩講には親戚の濃い人たちまで声がかかって、いっちょらいの着物を着て一緒にお詣りしたものだ。お婆ちゃんと手をつないで子供がお寺に…ほほえましい姿が当たり前だったのだが、残念ながら日曜学校の子供たちも最近では見なくなってしまった。各地に空き家が、・・・空き家まで赤ちゃんいかなくっても、一人暮らしの家がかなり増えてきた。地域で何ができる…気を付け合うのは周りのお付き合い・・・お寺をご縁に集い合うこと、そして、つながりあうことの必要を切実に感じた今年のお参りでした。

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