田中教育長の時代に滋賀県青年国内研修に参加した。丁度東京オリンピックの年、東京駅で自由解散をし、てくてくと各競技会場を訪ね歩いた。町は抱っこちゃんブーム・最終聖火ランナー「すっくと立った酒井義則君・・・」アナウンサーの興奮が今も耳に残る。帰りは新幹線に乗ったなぁ・・・その頃開通しているのだが、詳細の記憶はない。余分のお金なんて持っていないのだから、歩くしかなかった。テクテク…一緒に行動した仲間も、次第に体力が゜落ちて…
今日、虎姫の文化ホールで第56回身体障害児者福祉大会が開かれた。会長のあいさつに、親もだんだんに年を重ねて次第に参加する人が少なくなってきている。しかし、行動は3人いればできる。この会のスタート時は、道の草をむしりバラスを踏み固めいろいろご苦労いただいた。我々は今、舗装された福祉の道をバスで走っている。しかし、まだ足りないところがある。今ある者の責任として、草を取りバラスをまいて後世のために車の走れるようにしていかねば…とお話だった。
この会の帰り道、懐かしい中間が虎姫に嫁いでいるので電話番号を頼りに訪ねた。声はすれどもなかなか姿が出で来ない。車をつき二つ折れになって…顔はそんなにも変わっていないのが救いだった。パーキンソン病だという。その体で、91歳の姑さんをお世話されていた。天ぷら作るときも、主人の帰りに時間を合わせて、材料を手で油に入れるの…揚げる時は箸でうまくつかめないから、主人が手伝ってくれるの、明日はじいちゃんの13年を勤めるの・・・おっとりした口調で「昔に還ったねぇ…」としばし体の不調が軽くなったように感じられた。自分でできることはやらなきゃ…と朝の着替えに一時間かかる…と屈託なく話す。…仲良く暮らしてね、硝子戸のうちから見送ってくれる彼女・・・これが人生なんだ。大きな勇気をもらった。