お暇?多忙

 農家育ちの私は、ゴールデンウイークとはご縁が薄かった。字のごとくにゴールドな期間という楽しい使い方はついぞ経験がない。勤めの主人の休暇をいかに効率よく使って、田植え作業をこの間に早く終り、最後の1日を子供を連れて写生大会に出かけていた。夜には、家の前の藤棚の下に茣蓙をひいて、お花見としゃれ込みケーキやシュークリームを焼いて結構喜んでいたものだ。苺栽培をやっていたものだから、朝の収穫の後は、箱詰めの作業はしっかり時間を取られ、ラジオ放送の最終国歌の流れるのを、手にした苺パックが、バサッと音を立てて落ちるのにハッと気づく…そんな毎日を過ごしていた。ほんとに忙しかった。が、それでも楽しみがあった。

 炊事場と苺の箱詰め作業場が近く、この季節だと「外郎」つくり・・・気候がよくなってお腹がすく、「外郎」は特にしっとりとうまい。作り方もいたって簡単、ただ蒸すだけ・・・田圃の休憩にももってこいだ。亡父の特に大好物でとても喜んで食べてくれた。時間がない忙しいと言いながら、ちゃっかりと楽しんでいたころが懐かしい。看護連盟で活躍されていた赤沼会長は(比較的近所)「久ちゃんとこ忙しいから…」と子供の日には手作りのご馳走をよくいただいた。おいしければすぐにまねをして、講習会。懐かしい思い出だ。ちまきも、キャラメルも…全部手作り、楽しかったし、それがしんどいとは感じなかった。

 ここで活躍されたのが、県の農業普及所の生活改善普及員さん。いろいろと教えていただいて、今の私があると思っている。母から習うより、普及員さんに教えていただく方がずっと素直に話が聞けた。今はその職務はない。例え今も生改の先生がおられても、教える技術もまた、習う人もいないだろう。・・・だが、置忘れてしまった生活の文化とは、こういうことを指しているのでないか、知事がよく言われる高島の「カバタ」文化も、今も使っているからこその話…農村に根付いてきた自然とともにあった地域の文化を「もういいでしょう…」と切り捨ててきた政策の失敗は、取り返しがつかないのではないか。

 新聞にどっさり入った広告、子供の日のご馳走は、お寿司・・・お母さんが子供の覗き込んでいる前で作るチラシでなく、お店の出前? あるいはお食事会・・・「これが時代てす。」とばかり言ってはおられないでしょう。便利、使い勝手がいい、おいしい…置忘れた心を考えてほしいものです。家族(親子)の絆は深まっても、虐待は影をひそめると思いますが…。