彦根梨

 曽根沼の水を抜き、干拓地として700反の農地を造成された頃は、まだ食糧増産の時代、大中に次いで内湖が当然のことのように干拓化された。今まで田船でしか往来できなかった田んぼにリヤカーが移動できることは夢のようだった。昭和が終わる頃には、人々は「雨の降るたびに水没の危険を心配しなけりゃならない干拓地の宿命から逃れたいと、平成2年台風で決壊した愛知川復旧の残土受け入れを決意し、干拓かさ上げを決定された。20年かけての大事業・・・

 その時既に、干拓地での新事業として梨生産がようやく収穫の樹齢を迎えていた。その味は天下一品、日本一の旨い梨・・・と評判を得た。量的にも成木としてさぁ、これから…の時。当然反対の人も出た。梨の木を伐採、育てた農家にとって断腸の思いだっただろう。

 曽根沼は底なし沼ともいわれ、生い茂った葦・まかぼが年々堆積、他所には真似のできない天然のすくも地、天下一品の味を産んだ。嵩上げした土地に新植の梨、そして今その最盛期を迎えている。当初一念発起された方々はすでに高齢化、亡くなっておられる方々もある。今はその代継ぎ、その地域だけではなく、梨栽培に入植した方も交えて、連日の賑わい。
 工事は、あまつち(天土)をいったん取り除き、嵩上げ6mの後再度あまつちをかぶせるというもの。苦労の蓄積、今幸水の最盛期、毎日直売所には長蛇の列。なかなか手に入れることができない。

 彦根梨・・・簡単に生まれたものでない。人々の葛藤がここに40年近く続いてきたことになる。並々ならぬ努力に対するご褒美として≪彦根梨≫の名声が末永く続くことを願う。