8月6日は広島原爆記念日。この頃になると毎年思い出すことがある。昭和20年、当時私は数え年3歳、記憶は定かではない。日ごと空襲が激しくなる中を、定期的に京都の大学病院に通っていた。その頃同じ病院で出会う患者さんの中に、私と同じくらいの女の子がいたという。田舎だからおにぎりが少し食べられて、病院に持って行き、分け合って食べていたという。8月の初め、その女の子のお母さんが、⦅暮らしが厳しく里に帰ろうと思う…⦆と話されたという。どこへ?と尋ねる母に、「ひろしま・・・」と。母は言う。「あれが最後だった。あのまま広島に帰られたのだろう…それから彼女親子らに出会うことはなくなった。おそらく広島原爆の犠牲になられたのだろう…」
毎年毎年この頃になるとねわが家でも話題に出す。涙をこらえながら…心からご冥福を祈ります。
会えなくなった友