年の暮れ

 コロナに明け暮れた今年、本来なら2度目の東京オリンピックに沸くはずだった。残りわずかとなった今日も、り患者の数は増え続けている。不要不急の外出は控えるように…このところ毎日のように呼びかけがなさているのに、無視して忘年会に参加し非難を受けている人たちもいる。しかし、何が起きても後僅かの令和2年、やるべきことはやっておかねばならぬ。田舎暮らしをしているとなおのこと、家庭においては年寄がいながら、何してた…と非難されないように、自らの体は動かなくても…だ。

 12月20日、気がかりだったお取りこしを勤めた。常なら親戚がみな集まって勤めるのだが、そうもできぬと、本年は家族だけで勤めた。簡単でいいという声も聞くが、わが家ではおけそくをつき、お花も一番上等なのを供え、僅かばかりだが山菜おこわを蒸して仏前にお供えした。本年は、南無阿弥陀仏の法名軸を補修したので床の間に飾り…記されている年代から、表具屋さんの話によると…「あんたとこは古い家系やなぁ…300年は経っている。ここで補修しておくと、もう百年は大丈夫…」とのこと。
 こうなると、お取りこしを疎かにできぬ。代々の先祖が思いをつないて守ってこられた。一寸先は闇とは言うけれど、次の代につないでいかねばならぬ。年を重ねたせいか神妙に思うようになった。
 息子が、最後のご挨拶に⦅今年はこんな形で家族だけのお勤めになってしまったけど、コロナが落ち着いて来年は、今までの様に親戚が集まってお勤めできるよう願っています・・・・》と。一年後、私はいるかいないかわからないけど…。
 余談、年賀状を本年はすべて手書きした。もうぐったり…来年、もし元気だったら、パソコン書に戻ろうかな…