護国神社で…

 戦後72回目の戦没者慰霊祭、東京での政府主催の慰霊祭に合わせて、滋賀県護国神社で同時に開催された。本年は、民主党からも4人の県会議員さんがお参りいただいて、…国のため尊い犠牲となられた御霊に今までにない多くの県会議員が心からの慰霊を捧げました。。自民党議員だけでなく、議員の皆さんは、そろって参拝されるべきです。思想信条は違っても、戦死された皆さんは、皆さん国のため…とお働きいただいたのです。今後、より多くの議員さんの参拝に期待したいと思います。

 式典ののち、社務所で、遺族会皆さんのおもてなしにより、おにぎりとお味噌汁の直会。いつものように一言のごあいさつが回ってきました。戦後長く続いた引き上げ、同じ町内で、戦死と確定されないで帰ってこられない人の名前を、ラジオにかじりついて家族が聞いていたこと、そしてついにお戻りにはならなかったこと、その時聞いた、目も見えず、耳も聞こえず、手足もないままに担架で降ろされた兵隊さんの姿、迎えた母親が「殺してくれ、死なせてくれ」と叫ぶ兵隊さんの口に、自分の乳房を含ませたこと…「おかあ…お母さん、会えた、帰れた…」と叫ばれたこと。そして、この会場の遺族の皆さんは、どんな姿でもいい、生きて会いたい、帰ってほしい、…それができなかった…」辛い悲しい過去。今の平穏が尊い犠牲の上にあることに思いをいたし、ご一緒に手を合わせたいと思います…。 

 舞鶴での引揚者の名前の放送は、私の小学生頃までは続いていたように思う。街角で見た、白い服を着てアコーディオンを弾かれていた復員障害者の皆さん…お父さんを亡くされた方々は、どんな姿でもいい、生きて帰ってほしかった、会いたかった…と思われたことでしょう…胸が詰まりました。